時間の流れは絶対ではない
以前書いた記事「タイムマシン」で相対性理論についてちょっと触れましたが、今回はその続きとして「時間に関する考察 その2」です。
時間は人それぞれ「進み方が違う」というのが今回のお話です。
何いってんだ、時間はみんな一定に流れているに決まってるじゃないか、と思われた人もいるかと思います。
時間の流れは過去から未来へ一直線にすすみ、その進み方は一定で、全世界の誰もが平等に一秒ずつ、寸分の遅れも進みもなく確実に一秒ずつ、未来へ向かって同じタイミングで進む絶対的なもの、と「思われがち」です。
今日はそんなアナタに、ちょっとだけ相対性理論の不思議な世界をカンタンにご紹介しましょう。
ここでいう「時間の進み方が違う」というのは、「楽しい時間は早く過ぎる」とか、「退屈な時間は遅く流れる」などといった感覚的なことではありません。
それらはあくまでも「そんな気がする」だけの話で、実際には他の人と同じだけ時間が経過しています。
そうではなく、ここではあくまでも相対性理論に基づいた仮説で、時間の流れは一定ではなく、人それぞれに「進み方が違う」ということをカンタンに説明してみようと思います。
たとえば走っている電車の中で、2mの高さからボールをまっすぐ真下に落としたとします。
ボールが床につくまでの時間を、仮にちょうど1秒とします。
つまり、ボールは2mの距離をきっかり1秒で移動するわけです。
この現象を、電車の外から見ている人にはどのように見えるでしょうか。
ボールが落下を開始した位置と、ボールが着地した位置関係は垂直ではありませんよね。
客観的に見ると、ナナメに移動したことになります。
しかし、ボールが床につくまでの時間は1秒のはずです。
ということは、外から見ている人にとって、ボールは1秒間のあいだに2mより長い距離を移動したことになります。
もしくは、ボールは2mの距離を1秒より短い時間で移動したことになるわけです。
以前の記事で書いた「高速で移動する物体の時間は遅れる」という定義にも当てはまっていますね。
動いている人と静止している人とでは時間の流れ方が異なる、という考え方がお分かりいただけたでしょうか。
これが、相対性理論の「相対性」たる所以です。
コメント
時間の問題って不思議で面白いですよねぇ
個人的に気になってNewtonやらその手の新書も買ったのですがまだ読みきれてません(T_T)
「時間の矢」問題ってのもありますが、時間って相対的にしか認識できないので、絶対時間があるのか? ってところが気になるところです。
はたして ある/ない/妄想?/別の定義?
我々が体感し得る時間というものが相対的な存在である以上、絶対的な時間とは概念なのかもしれません。
むー! わからん!
相対性理論って話で聞くだけで全然知らないっすけど、なんかジュンイチさんにマジックみたいにだまされてる気がする!!
ボールを落とす例を説明するなら、慣性の法則のほうが確からしく見えてしまう。
週一の定例会で話を聞かせてください!
俺は時間は絶対だと思うのです!
アラーキーがそう思いたい気持ちは分かりますが、かのアインシュタイン先生の完璧といわれる相対性理論をくつがえす論証がいまのところ存在しない限り、「時間は絶対ではない」という机上の空論を受け入れざるを得ないわけで。
だからこそタイムトラベルとかSFチックな妄想もできるわけで、ドラえもんもそのうち出来てこようってもんです。
ところで慣性の法則って、時間は関係あったっけ?
受験には関係なさそうなNewton的なSFは好きだけど、高校の物理はサッパリだったり。