ドラクエ考~国民的RPGを考える

国民的RPG、「ドラゴンクエスト」。
なぜ国民的と呼ばれるのか、改めてその経緯を探ってみたいと思う。


まず、ファミコンで最初のドラクエが出たのが1986年。
この頃ファミコンは「スーパーマリオ」が大ヒットし、ファミコンといえばアクションゲームが全盛の時代。
その時代のRPGの認知度は低く、せいぜいパソコンをやる人間が、「ウルティマ」や「ウィザードリィ」といった海外産のRPGを知っている程度だった。

パソコンといっても当時はWindowsどころかほとんどパソコン自体が普及しておらず、一部の専門的な職種のほかは、まだまだ一部の人間の高級なおもちゃにしかすぎなかった。


そんな状況の中、ファミコンではじめての本格RPGを作って世に広めようとしたのが30歳そこそこの堀井雄二氏。


とにかくはじめての試みだったので、パソコンRPGではわりと当たり前だった複数キャラによるパーティプレイは排除し、「1」ではたった一人での冒険とした。
「2」では一人、二人、三人と徐々に仲間が増えていくシステムでパーティプレイというものに慣れさせ、「3」でようやく四人によるパーティプレイを実現した。


「1」の発売前には堀井氏が当時執筆していた週刊少年ジャンプのファミコン特集記事でみずから「ドラゴンクエスト」の紹介記事を書き、モンスターと戦って経験値を得てレベルアップしながらキャラクターを成長させ、お金を貯めてより強い武器を買うことでより大きなダメージを与えるといったRPGの基本的なシステムを、小学生にも理解できるようにした。

それまでファミコンゲームといえばアクションゲームだったところに、まったくアクション性がなく、レベルさえ上げれば誰でもエンディングにたどり着けるという親切設計も手伝って、ファミコン初のRPGはそこそこの高評価を得た。

さらに「2」の大ヒットとクチコミでさらに人気を博し、「3」の発売当日には販売店に長蛇の列ができ、学校を休んでまで買いに行く子供があとを絶たなかった。
これ以後、ドラクエの発売日は休日となったのである。

また、購入した子供から買ったばかりのソフトを巻き上げる事件がおきたり、別のソフトとの抱き合わせで販売する店が続出するなどの社会現象を引き起こし、知名度は一気に上がった。

こうして堀井氏による国内でのRPGの浸透は大成功に終わったのである。
この成功が、ドラクエを国民的タイトルと言わしめる経緯である。


ドラクエ人気を皮切りに、あとに続けとばかりに多くのRPGが世に出た。
ファイナルファンタジー(FF)もそのひとつだ。

今でこそ二大RPGとされるドラクエとFFだが、FFの「1」などは当時、それこそドラクエの二番煎じにすぎなかったのである。

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