泣かせる芝居より、笑わせる芝居

人に感動を与えたいと思うのは、演じる側の誰しもが望むことです。
よって、演じる側としては泣かせる芝居の方が好まれるようです。
演技自体も、役者にとって泣かせる芝居はとりわけ簡単なのです。

そもそも台本自体、お涙頂戴な話を書けばだいたいそれだけで泣いてくれます。
演技などはあまり関係ない。

しかし、お客さんを笑わせようとする台本は難しい。
故意に狙って笑わせようとする台本を書くと却ってわざとらしくなってしまい、逆に笑えなくなってしまうのです。
シーン自体が白々しくなってしまうことも。


じゃあどうやって笑いをとるか。
それには役者の技量が少なからず関わってきますが、ここでは逆の視点から探ってみたいと思います。
つまり、どんなときにお客さんは笑うか、です。

お客さんは台本で決められた手順よりもハプニングを好みます。
演技する側が予定にない事態に見舞われると、お客さんはどっと笑います。

それにはアドリブです。
アドリブに強い人ならいいですが、アドリブに弱い人はアドリブっぽく見える演技を練習するのです。
もし仮に舞台上で不測の事態が起こったとしても、役柄を保ったまま冷静に対処できるだけの機転とアドリブ力があれば怖いものなしですね。


あるいはお客さんが予測しないようなリアクションをとる。
ものごとには既成概念というものがあります。
それを覆されたとき、人は衝撃を受けます。
それが笑いのツボだったりすると、お客さんは笑ってくれます。

たとえば、自分が撃たれて倒れるだけというたったそれだけの演技で、お客さんを笑わせることができるでしょうか。

こういう課題を出すと、役者はこぞって派手な倒れ方をしたがります。
しかしどれも寒い。
笑わせようとする魂胆がみえみえだからです。

私が実際に舞台でやった例ですが、自分の後方を平然と振り返ったのです。
そのあと、腹を押さえてちょっと大げさに苦しむだけでした。
ところがこれが受けた。

つまり、撃たれたのは自分ではなくうしろにいる何かという設定にしておいて(もちろんこれは自分の頭の中で設定すればいいだけ)、弾丸の行方を見届けるふりをして振り返るわけです。
そのあと「(撃たれたのは)自分だったー!」といわんばかりにうめき苦しむのです。

このように、撃たれた→即、苦しむ、ではなく、お客さんが予想しないリアクションを挟むことで笑いがとれます。
もちろん、撃たれて笑いをとるなんて演技はコメディでしかできませんけど。

ドリフ的、といえばそうなんですが、ドリフターズのコントがそれだけ洗練されたコメディだということです。
コメディをやろうとする役者にとって、ドリフのコントは教科書だと私は思っています。


アマチュアのヘタクソな役者ほど「人を笑わせる」という意識より「人に笑われる」という意識もあって、笑いをとる演技をやりたがろうとしません。

あるいはシリアスに見せてカッコつけたいだけです。
泣かせた方が自分もカッコイイ演技ができるし、なによりラクで無難。

勘違いしてはいけません。
演劇とは、自分がいかに気持ちよくなれるかではなく、お客さんにいかに楽しんでもらえるか、ですから。

お客さんを笑わせるのがうまい劇団は、役者の技量も高い劇団といえます。


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